現在のように美しく整備された史跡として残るまでには、関係者による熱心な保存のドラマがありました。1970年代初頭、高度経済成長に伴う福岡市の急速な都市化により、野方一帯でも大規模な住宅団地の造成計画が進められていました。
1973(昭和48)年、工事に伴う事前調査として福岡市教育委員会による緊急発掘調査が実施されたところ、地中から極めて良好な状態で二重の環濠と密集する住居群が姿を現しました。遺構の残存状況の良さと歴史的価値の高さに驚嘆した考古学界や地元住民から強力な保存運動が巻き起こり、開発事業者と福岡市との間で粘り強い協議が重ねられました。
その結果、団地計画の一部を変更して遺跡中心部を丸ごと保存することが決定。発掘からわずか2年後の1975(昭和50)年6月26日、国の史跡に指定されました。住宅街の中にありながら弥生集落の空間構造がこれほど明瞭に残された事例は全国的にも稀であり、都市開発と文化財保護が共存を果たした先駆的なモデルケースとしても知られています。