森喜朗氏の人間関係と政治行動の原点は、その生い立ちと早稲田大学時代にあります。石川県能美郡根上町(現・能美市)の町長を務めた森茂喜氏の長男として生まれ、早稲田大学第二商学部に進学。大学時代には名門・早稲田大学ラグビー部に所属し、このときの経験が森氏の「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」を地で行く泥臭い義理人情の政治スタイルの土台となりました。
大学卒業後は産経新聞社に入社して記者経験を積んだ後、衆議院議員秘書を経て1969年の衆院選に無所属で出馬し初当選を果たします。自民党内では福田赳夫派に所属し、文部大臣、通商産業大臣、建設大臣、党幹事長といった要職を歴任しました。
2000年4月、小渕恵三首相が脳梗塞で急倒した際、いわゆる「五人組による密室協議」を経て第85代内閣総理大臣に電撃就任しました。しかし、就任直後から「日本は天皇を中心としている神の国」とする「神の国発言」や、米海軍潜水艦と愛媛県立宇和島水産高校の実習船が衝突したえひめ丸事故の際にゴルフを継続していた問題などで世論の激しい批判を浴び、内閣支持率は一桁台にまで急落。在任期間約1年で小泉純一郎氏へと政権を禅譲することになりました。
一方で、日本ラグビーフットボール協会会長としては絶大なリーダーシップを発揮し、アジア初開催となった「2019年ラグビーワールドカップ日本大会」の招致と大成功を成し遂げた立役者として、スポーツ界における評価は極めて高い一面も持ち合わせています。