完成した伊400型潜水艦と晴嵐部隊(第一潜水隊)に下された最初の極秘ミッション、それこそがパナマ運河攻撃計画の真相です。太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河は、アメリカ本土の造船所で急ピッチで量産される膨大な艦艇や軍需物資を太平洋戦線へと送り込む大動脈でした。ここを寸断すれば、米軍の補給路と艦隊移動は数か月にわたって大打撃を受けます。
作戦計画は極めて大胆でした。伊400と伊401の2隻で南米を大きく迂回して大西洋側へと回り込み、ガトゥン湖の水門を晴嵐の魚雷および爆撃によって破壊。運河の水を海へ流出させ、長期間にわたって通航不能に陥らせるという筋書きでした。米軍の防空網が太平洋側に集中している盲点を突き、大西洋側から侵入するという構想は、まさに地球を1周半できる航続力を持つ潜水空母でしか成し得ない奇襲でした。
しかし、1945年春から初夏にかけて日本の戦局は絶望的な段階へと突入します。沖縄の陥落、日本本土への猛烈な空襲、そして本土決戦の危機。軍令部は「もはやパナマ運河を破壊しても、目前に迫る米軍の侵攻を食い止める時間稼ぎにはならない」と判断。1945年6月、攻撃目標は急遽、西太平洋の要衝であるウルシー環礁へと変更されました。ウルシーには米機動部隊の空母や戦艦が多数停泊しており、そこへ特攻攻撃を敢行することで、米軍の本土侵攻作戦を少しでも遅延させようとしたのです。
同年7月23日、伊400と伊401は青森県の大湊を出撃。米軍機に見立てた国籍マークを偽装塗装した晴嵐を載せ、決死の覚悟で南太平洋へ向かいました。しかし、作戦決行予定日を目前にした8月15日、航行中の艦内に流れたのは終戦を告げる玉音放送でした。乗組員たちは憤激と無念に涙を流しながらも、軍令に従って戦闘行動を停止。米軍への機密引渡しを防ぐため、艦載していた虎の子の晴嵐をカタパルトから海中へと投棄し、機密書類をことごとく焼却・破棄しました。こうして、世界を震撼させるはずだった奇襲作戦は、幻のまま幕を閉じたのです。