不便益は決して机上の空論ではない。身近な生活の中や産業界の実務において、すでに多くの成功例が存在している。
まず不便益の身近な例として広く認知されているのが、富士フイルムのインスタントカメラ「チェキ」やレンズ付きフィルム「写ルンです」の根強い人気だ。現像するまで何が撮れているか分からず、撮り直しも効かないという強烈な不便さがある。しかし、その制約こそが「一枚を大切に撮る緊張感」や「現像を待つ間の高揚感」を生み、失敗写真さえも唯一無二の思い出に変換させている。
さらにシステムデザインとUXの領域における代表的な不便益ビジネス活用事例として知られるのが、川上教授らも関わった「素読(そどく)用文字フォント」や「かすれ文字の観光マップ」の研究だ。あえて文字の一部を読みにくくかすれさせることで、利用者は自然と目を凝らし、集中して内容を読み取ろうとする。その結果、通常の鮮明なフォントよりも記憶の定着率や場所の認知度が大幅に向上したという実験データが報告されている。
空間設計の分野でも、あえて段差や未舗装の斜面を多く設けた保育園の園庭デザインが注目を浴びている。平坦で安全すぎる人工芝の園庭に比べ、凸凹だらけの不便な園庭では、子どもたちが自ら足元に注意を払い、身体能力や空間把握能力が飛躍的に発達する。怪我を恐れて危険をゼロにするのではなく、「小さな失敗を経験させて大怪我を防ぐ」という不便益の思想が現場で実証されている事例だ。