食品科学の観点から見て、パンを冷蔵室へ入れる行為は自ら品質を劣化させているに等しい行為です。その根拠となるのが、小麦粉に含まれるデンプンの老化(ベータ化)という現象です。パンを焼成する際、小麦粉中のデンプンは水分と熱によって網目状に膨らみ、柔らかく消化しやすい「アルファ化(糊化)」の状態へ変化します。しかし、焼き上がった瞬間からパンは冷め始め、時間の経過とともに水分が抜け、生米に近い硬い構造へと戻ろうとします。これがデンプンの老化です。
日本食品科学工学会などの研究報告によると、デンプンの老化速度が最もピークに達する温度帯は「0℃〜5℃」とされています。家庭用冷蔵庫の冷蔵室は通常2℃〜5℃、野菜室でも3℃〜7℃程度に設定されており、まさにデンプンが急速に劣化するピンポイントの危険温度帯に該当します。この環境にパンを置くと、常温に置いた場合の数倍ものスピードで水分が失われ、パン生地の組織が脆くパサついた状態へ転落してしまいます。
さらに見逃せないのが、冷蔵庫内の空気循環による乾燥と周囲のニオイ移りです。冷蔵庫は冷却器によって庫内の水分が奪われるため、非常に乾燥した空間になっています。密閉が不十分なパンを入れると、一晩でクラム(内側の白い部分)の水分が蒸発し、パサつきが一段と深刻化します。加えて、パンの多孔質な気泡構造は周囲の臭気を強力に吸着する性質があるため、庫内の魚や肉、調味料のニオイを吸い込んでしまい、小麦本来の香ばしさは完全に損なわれます。「腐敗を防ぐ」という衛生管理の目的以外で、一般的なパンを冷蔵庫に入れるメリットは皆無といえます。