教科書や定期テストで扱われる「項王の最期」は、大きく4つの重要シーンで構成されています。それぞれの原文、書き下し文、現代語訳を順を追って見ていきましょう。
1. 垓下の歌(四面楚歌と虞美人との別れ)
【原文】
力抜山兮気蓋世。時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何。虞兮虞兮奈若何。
【書き下し文】
力は山を抜き、気は世を蓋(おほ)ふ。
時利あらずして、騅(すい)逝(ゆ)かず。
騅の逝かざるを、奈何(いかん)すべき。
虞(ぐ)や虞や、若(なんぢ)を奈何(いかん)せん。
【現代語訳】
わが力は山を引き抜くほど凄まじく、わが気概は天下を覆い尽くすほどであった。
しかし時勢は味方せず、愛馬の騅も前へ進もうとしない。
騅が進まないのを、どうすることができようか(どうすることもできない)。
虞よ、虞よ、私はいったいお前をどうすればよいのか(守ってやることすらできないのか)。
項羽はこの歌を幾度も歌い、虞美人もそれに唱和しました。項羽の頬を幾筋もの涙が伝い、左右の近臣たちもみな涙を流し、誰も顔を上げることができませんでした。
2. 東城の戦い(二十八騎の奮戦と「天の亡ぼす」宣言)
敗走を続け、農夫に騙されて泥沼に迷い込むなどして漢軍に追いつかれた項羽の手勢は、ついにわずか二十八騎となってしまいます。迫り来る漢の騎兵は数千騎。項羽は自ら死を覚悟し、配下の兵たちに向かって語りかけます。
【書き下し文】
「吾、兵を起してより今八年にして、身は七十余戦を経たり。当たるところ敵無く、撃つところ服せずといふこと無し。未だ嘗て敗北せずして、遂に天下に覇たり。然るに今卒(つひ)に此に困(くる)しむ。此れ天の我を亡ぼすに非ずして、戦ひの罪に非ざるなり。吾今且(まさ)に死せんとす。請ふ、諸君の為に決戦し、必ずこれを潰(つひ)えしめ、諸君の為に漢の将を斬り、その旗を抜き、諸君をして天の我を亡ぼすに非ずして、戦ひの罪に非ざるを知らしめん。」
【現代語訳】
「私が挙兵してから今まで八年間、自ら七十回以上の合戦を戦い抜いてきた。立ちふさがる敵はすべて蹴散らし、攻撃して降伏させられなかった相手などいなかった。一度として敗れることなく、ついに天下の覇者となったのだ。それなのに、いま最後にはこの地で追い詰められてしまった。これは天が私を滅ぼそうとしているのであって、私の戦い方の過ちではない。私は今まさに死のうとしている。どうか頼む、諸君のために最後の決戦を行い、必ず敵の包囲を破り、漢の将軍を斬り倒し、敵の旗を奪い取って見せよう。天が私を滅ぼすのであって、戦術の拙さによるものではないことを諸君に思い知らせてやろうではないか。」
項羽は配下を四隊に分けて四方へ突撃させ、宣言通りに敵の大軍を散々に蹴散らし、漢の武将を自ら斬首して敵兵数百人をなぎ倒しました。配下の兵たちも「大王のお言葉通りでした」と平伏したと伝えられます。
3. 烏江の渡し(亭長の進言と拒絶の決意)
東城を脱出した項羽は、揚子江のほとりにある烏江(現在の安徽省和県)の渡し場にたどり着きます。そこへ、地元の長である亭長が船を一艘用意して待ち受けていました。
【書き下し文】
烏江の亭長、船を檥(ぎ)して待つ。項王に謂ひて曰はく、「江東小なりと雖も、地は千里、衆は数十万人あり。亦た王たるに足る。願はくは王急ぎ渡れ。今独り臣船を有す。漢軍至るも、以て渡る無かるべし」と。
項王笑ひて曰はく、「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さんや。且つ籍(せき=項羽の本名)、江東の子弟八千人と江を渡りて西す。今一人として還るもの無し。縦(たと)ひ江東の父兄憐れみて我を王とすとも、我何の面目ありてか之に見(まみ)えん。彼れ言はずと雖も、籍独り心に愧(は)づる無からんや」と。
【現代語訳】
烏江の亭長は船をもやいにつないで待ち構えており、項王に向かって言った。
「揚子江の東(江東)は狭い地域であるとはいえ、土地は千里四方、人口は数十万人おります。ここでも十分に王となることができます。どうか王よ、急いで川をお渡りください。いま船を持っているのは私一人だけでございます。漢の軍勢が追いついたとしても、川を渡る手立てはございません。」
項王は力なく笑って言った。
「天が私を滅ぼそうとしているのに、どうして川を渡ったりしようか(いや、渡るはずがない)。その上、私・項籍はかつて江東の若者八千人を引き連れて川を渡り、西へ進出したのだ。それがいま、誰一人として生きて帰る者がいない。たとえ江東の父や兄たちが私を憐れんで再び王にしてくれたとしても、私にどんな合わせる顔があって彼らに会うことができようか(決して顔向けなどできない)。彼らが何も口に出して責めないとしても、私自身が心の中で恥じ入らずにいられようか(激しい恥を覚えないはずがない)。」
項羽は長年戦場を共にした愛馬・騅を「殺すに忍びない」として亭長に譲り渡し、兵たち全員に馬を降りさせ、短い剣を手に取って徒歩で追撃軍を迎え撃ちました。
4. 呂馬童との対面と自刃
漢軍と白兵戦を繰り広げ、項羽自身も十数箇所の傷を負いました。ふと敵陣を見回すと、かつて配下の部下であった騎馬隊長・呂馬童(りょばどう)の姿が目に入ります。
【書き下し文】
項王、漢の騎司馬呂馬童を見て曰はく、「若(なんぢ)は吾が故人(こじん)に非ずや」と。馬童これに面し、中泉(ちゅうせん)を指して王翳(おうえい)に示して曰はく、「此れ項王なり」と。
項王乃ち曰はく、「吾聞く、漢、我が頭を千金、邑万戸に購(あがな)ふと。吾、若が為に徳せん」と。乃ち自ら頸(くび)を刎ねて死す。
【現代語訳】
項王は漢の騎兵隊長である呂馬童を見とがめて言った。
「お前は、私の昔馴染みの部下ではないか。」
呂馬童は項王を直視できず顔を背け、側を走る武将・王翳を指さして「これこそが項王だ」と教えた。
項王はそこで言った。
「私は聞いている、漢が私の首に黄金千斤と一万戸の領地という賞金を懸けているとな。お前のために、恩恵を施して手柄を譲ってやろう。」
そう言い放つと、自ら首を掻き切って絶命した。
項羽が自刃した瞬間、漢の武将たちはその莫大な恩賞を目当てに、項羽の遺体を取り合って相討ちになり、数十人の死者を出す凄惨な奪い合いを展開しました。一代の英雄の遺骸は、かつての部下たちによって五つに引き裂かれるという、あまりにも悲劇的な結末を迎えました。