現在のように厳しい基準が存在するにもかかわらず、なぜ「かんすいは体に悪い」という強固な固定観念が世間に定着してしまったのでしょうか。その原点は、戦後の物資不足が生んだ社会問題に遡ります。
終戦直後の日本(昭和20年代前半)では、激しい食糧難のなかでヤミ市を中心にラーメン(当時は支那そば・中華そば)が大流行しました。しかし、正規の内モンゴル産かんすいなど手に入るはずもありません。そこで一部の心ない闇業者が、工業用の苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)やケイ酸ナトリウムなどの劇薬を希釈し、「代用かんすい」として製麺業者に売りさばいたのです。
これら粗悪品を使った麺を食べた客が激しい胃潰瘍や食道炎、消化管出血を起こす事例が頻発し、新聞報道を通じて「かんすい=飲むと内臓がただれる劇薬」という恐怖のイメージが国民の脳裏に焼き付きました。この深刻な事態を受け、厚生省(現・厚生労働省)は昭和32年(1957年)に食品衛生法を改正し、かんすいの規格基準を制定。さらに昭和62年(1987年)には現行の厳格な告示基準へと抜本改定を行いました。
現在では日本食品添加物協会が定めた安全規格をクリアした製品にのみ「かんすい確認証」の証紙が交付されており、戦後のような有害な苛性アルカリを含有する粗悪品は完全に市場から駆逐されています。現在ネット上に残る「劇薬説」は、半世紀以上前の痛ましい事件の記憶が亡霊のように形を変えて伝播した結果に他なりません。
「無かんすい麺」の登場とマーケティングのパラドックス
自然食品店や生協などで見かける「無かんすい麺」の存在も、消費者の不安を間接的に煽る一因となっています。「無かんすい」と表記された商品が存在することで、消費者は無意識に「かんすいが入っている麺は体に悪く、入っていないものが安全なのだ」という対立構造(認知バイアス)を抱きがちです。
無かんすい麺は、添加物を可能な限り避けたい層や、どうしてもかんすいのアルカリ刺激でお腹を下しやすい体質の人に向けた「選択肢の多様性」として開発された優れた商品です。しかし、それが「通常のかんすい麺が有毒であることの証明」ではないという点は、冷静に見極める必要があります。