大正末期から昭和初期にかけて、東京の郊外都市化は急速に進行した。関東大震災後の人口流入により、旧野方町をはじめとする郊外エリアでは深刻な水不足が慢性化。この危機に対処すべく立ち上げられた一大プロジェクトが荒玉水道整備事業であった。多摩川の伏流水を導き、急増する需要を賄うための大規模な送配水ネットワーク構築が急務となったのだ。
この歴史的インフラ整備の設計を主導したのが、内務省技師として日本の近代的水道事業の基盤を築いた天才技師、矢部金太郎である。矢部が目指したのは、単なる実用的な水槽の建設ではない。地震に強く、かつ都市の美観を損なわない、永劫に耐えうる意匠設計だった。補強コンクリート技術を極限まで駆使し、半球形ドームと洗練された壁面意匠を盛り込んだその設計は、当時の土木界に強い衝撃を与えた。