日本中が固唾を呑んで見守った決勝トーナメント1回戦・パラグアイ戦。南米の堅守を誇る相手に対し、日本は120分間にわたり一歩も引かない肉弾戦を演じました。松井大輔のミドルシュートがクロスバーを叩くなど惜しい場面を作りながらもスコアレスのままタイムアップを迎え、勝敗の行方はワールドカップで日本初となるPK戦へと委ねられました。
緊迫のペナルティマークで何が起きていたのか
パラグアイ戦PK戦の真相について、当時の関係者の証言や手記は極限の精神状態を浮き彫りにしています。後攻の日本は1人目の遠藤、2人目の長谷部が成功。そして3人目としてキッカーを務めたのが駒野友一でした。プレッシャーの中、力強く放たれたシュートは無情にもクロスバーを直撃。結果として3-5で敗れ、悲願のベスト8進出の夢は潰えました。
試合終了直後、ピッチに突っ伏して号哭する駒野のもとに駆け寄り、抱きしめたのは控えGKの川口能活や盟友・松井大輔でした。大会期間中、サブ組のリーダーとしてチームを鼓舞し続けた川口は「お前の守備があったからここまで来られたんだ」と涙ながらに語りかけ、ロッカールームでも誰一人として駒野を責める者はいませんでした。
ネット上のバッシングと駒野友一の不屈の復活劇
一部のインターネット掲示板やSNSでは心ない中傷も見られましたが、当時の国内世論の大多数は死闘を演じ抜いた駒野と日本代表に惜しみない賛辞を送りました。駒野友一PKその後のキャリアは、プロアスリートの真の矜持を示すものとなりました。
帰国後、地元・和歌山県から県民栄誉賞を授与された駒野は、ジュビロ磐田、FC東京、アビスパ福岡などで息の長い活躍を継続。2026年に現役を引退するまでJリーグ通算出場数を積み重ね、指導者へと転身した後も自らの失敗の経験を後進の育成に活かし続けています。「あのPKがあったからこそ、自分は逃げずにサッカーと向き合い続けられた」と語る駒野の姿は、多くの人々に勇気を与えています。