Q1:原敬を暗殺した犯人・中岡艮一はその後どうなりましたか?死刑になったのですか?
A1:中岡艮一は死刑にはならず、無期懲役の判決を受けました。当時の刑法において首相暗殺は一般の殺人罪として扱われたこと、中岡が当時19歳で未成年(当時の成人は20歳)であったことなどが量刑に影響しました。その後、恩赦により三度の減刑を受け、服役から13年後の1934年(昭和9年)に仮釈放されました。出所後は満州へ渡り、軍関係の職を経て戦後まで生き延び、1980年に77歳で病死しています。
Q2:原敬は本当に「庶民の味方」だったのですか?
A2:厳密には「庶民の味方」というより、藩閥特権を打破して議会を中心とする法治国家を打ち立てようとした「怜悧なエリート実務家」でした。盛岡藩士の上級階級出身であり、官僚や大企業の要職を歴任した指導者です。大衆の直接行動や暴動(米騒動など)を極度に警戒し、普通選挙制度の導入にも秩序維持の観点から強く反対しました。大衆に媚びることなく、国家の長期的な制度設計を優先したリアリストでした。
Q3:東京駅の暗殺現場は現在どうなっていますか?見に行くことはできますか?
A3:JR東京駅の丸の内南口改札の外側に、事件現場を示すプレートと記念の印が設置されています。改札を出てすぐの床面に、原敬が凶刃に倒れた位置を示す「円形のマーク」が埋め込まれており、その近くの壁面には事件の概要を解説する銘板が掲示されています。現在でも自由に見学することが可能です。
Q4:岩手県盛岡市にある「原敬記念館」にはどのようなものが展示されていますか?
A4:原敬の生家敷地に隣接して建設された「盛岡市原敬記念館」には、歴史的に極めて貴重な一次史料が数多く収蔵されています。暗殺された当日に着用していた「血染めの衣服(モーニングコート)」、凶行に使われた短刀の同型資料、直筆の書や公文書、そして約40年間にわたる膨大な『原敬日記』の関連資料などが常設展示されており、原敬の生涯と政治的軌跡を網羅的に学ぶことができます。