デビュー直後から高い知名度を誇り、2000年代後半には社会現象的な人気を獲得していた嵐が、「なぜ初出場まで10年も遅かったのか」という疑問には、当時の芸能界とテレビ局の構造的な力学が深く関わっています。
最大の要因とされているのが、当時の紅白歌合戦に存在した「ジャニーズ枠(事務所枠)は原則2組」という暗黙の慣例です。1990年代後半から2000年代にかけて、紅白の白組における同事務所の出場枠は、国民的スターであったSMAPと、安定した人気と実績を誇るTOKIOの2組で固定化されていました。
さらに、大みそかには東京ドームで恒例の『ジャニーズカウントダウンコンサート』が開催されており、若手・中堅グループはドーム公演に専念することが通例となっていたこともスケジュール的な要因として挙げられます。
この強固な慣例を打破したのが、嵐自身が2008年から2009年にかけて打ち立てた「無視できない圧倒的な実績」でした。
- 2009年オリコン年間ランキングの制覇:シングル部門で1位(『Believe/曇りのち、快晴』)、2位(『明日の記憶/Crazy Moon〜キミ・ハ・ムテキ〜』)、3位(『マイガール』)を独占。
- ベストアルバムの金字塔:『All the BEST! 1999-2009』が同年の年間アルバムランキング1位を獲得し、ミリオンセラーを達成。
- 史上初の国立競技場3日間公演:10周年記念ツアーで圧倒的な動員力を証明。
音楽チャートと動員実績の両面で名実ともに日本のトップに君臨した嵐に対し、NHK側も旧来の「2枠の壁」を撤廃。2009年は嵐の初出場に加え、NYC boysの企画枠初出場、さらにはSMAP、TOKIOと合わせて計4組が出場するという、紅白の歴史における大転換点となりました。