萩本欽一の芸歴の原点は、東京・浅草の「東洋劇場」にあります。コメディアンを目指して浅草に飛び込んだ若い頃、幕間のストリップ劇場のコントで腕を磨き、そこで出会ったのが後に盟友となる坂上二郎でした。
1966年に結成された「コント55号」は、台本を無視して舞台上を所狭しと駆け回る萩本と、それに汗だくで応える坂上のダイナミックな掛け合いで瞬く間に国民的人気を獲得。『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』などでテレビ界の台風の目となり、それまでの寄席演芸の枠組みを根底から覆しました。
1970年代後半から1980年代にかけて、萩本の才能は番組制作・演出の分野で完全に開花します。『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS系)という3つの冠レギュラー番組が同時に高視聴率を連発。週間合計視聴率が100%を超えたことから、メディアは彼を「視聴率100パーセント男」と称賛しました。
当時の特番インタビューや自著で本人が語っている通り、萩本の演出は「素人の良さを引き出す」「予定調和を崩す」という徹底した人間観察に基づいていました。今日では当たり前となった「素人参加型バラエティ」や「テロップ演出」「リアクション芸」の基礎は、すべてこの時期の萩本欽一の手によって築かれたものです。