1980年代後半、娘の宮沢りえがデビューするや否や、光子はマネージャーとして全面に立った。世間が驚愕したのは、その徹底したプロデュース力と、娘に対する異様なまでの執着だ。母と娘は「一卵性親子」と称され、常に二人三脚でスターダムを駆け上がった。
伝説の写真集『Santa Fe』の撮影を仕掛けたのも光子だった。当時18歳だった娘のヌード写真集という、当時の常識では考えられない暴挙。日本中が賛否両論で沸き返る中、光子は冷徹に微笑んでいた。「りえの美しさは今がピーク。それを残して何が悪い」。だが、このあまりにも強すぎる支配は、やがて大相撲の大関・貴花田(当時)との婚約破棄騒動や、りえの激やせ報道といったスキャンダルへと繋がり、二人の関係に決定的な亀裂を生んでいくことになる。