森昌子が自著や特番インタビューで明かした子育て方針は、徹底したスパルタ教育でした。兄弟間であっても敬語を使わせ、幼少期から「1番(Taka)」「2番(次男)」「3番(Hiro)」と番号で呼び合い、厳しい礼儀作法と門限が課されていました。
しかし、名門・慶應義塾幼稚舎からエスカレーター式に進学したTakaは、思春期を迎えるとともに厳格な家庭環境と「森進一の息子」という巨大すぎる看板に激しい息苦しさを覚えるようになります。
ジャニーズ事務所に入所し、NEWSの結成メンバーとして華々しくデビューを飾ったものの、わずか数ヶ月で学業専念を理由に突如グループを脱退・退所。その後、音楽への情熱を捨てきれずに慶應義塾湘南藤沢高等部を自主退学する決断を下しました。この選択に対し、父・森進一は「高校を辞めるなら家を出て行け。自分で生きてみろ」と激怒。これが世に言われる「ワンオクTakaの勘当騒動」の引き金となりました。
同時期の2005年4月には、父・森進一と母・森昌子の離婚が成立。親権は昌子さん、養育権は進一さんが持つという複雑な家庭崩壊の渦中で、Takaは着の身着のままで家を飛び出し、渋谷のライブハウスやレストランの厨房で深夜アルバイトを掛け持ちしながら自活する過酷な下積み時代へと身を投じることになります。