「事の顛末」「経緯」「全貌」「つぶさに」。日本語には物事の流れを説明する語彙が豊富に存在する。だが、それぞれが照らし出すスポットライトの位置は異なる。
「経緯(いきさつ)」は途中のプロセスや込み入った事情に焦点を当て、「顛末(てんまつ)」は事態の結末や結果に至るまでの道筋を重視する。一方、「一部始終」は何よりも時系列の完全性と主観を挟まない客観的な連続性を要求する表現だ。
ここで想起されるのが、芥川龍之介の名作『藪の中』である。一つの殺人事件に対し、当事者や目撃者たちがそれぞれ「一部始終」を語っているはずなのに、証言は真っ向から食い違う。人間の主観が入る限り、完全な「一部始終」を提示することは極めて困難だというパラドックスを突いた物語だ。言葉を使う際、自分が見ているものが単なる「主観的な経緯」なのか、それとも客観的な「一部始終」なのかを自覚することは、文章の解像度を劇的に引き上げる。