1987年、東京ヤクルトスワローズの監督に就任した関根が着手したのは、徹底した「我慢の育成」だった。池山隆寛や広沢克己といった荒削りな若手長距離砲に対し、どれほど三振を重ねようともスタメンから外さず、思い切りのいいフルスイングを推奨し続けたエピソードはあまりに有名だ。凡打に怒声を浴びせる指導が当たり前だった時代、指揮官がベンチでどっしりと構え、打席へ向かう背中を静かに見守る姿勢は異彩を放っていた。
その眼力は、のちの1990年代にチームが築き上げた黄金時代の土台となった。関根が耕した土壌に、次代を担った野村克也監督が「ID野球」という緻密な戦術の水を注いだことで、ヤクルトは常勝軍団へと飛躍を遂げる。育成の果実が実を結ぶ瞬間を自らの花道とせず、次の時代へ静かにバトンを渡した関根の無私なリーダーシップは、現代の組織論においても極めて示唆に富んでいる。