竹中 平蔵 パソナという組み合わせを聞いて、胸の奥にざらりとした感情を覚えない日本人は少ないだろう。政権の中枢に座りながら民間企業のトップに君臨し、日本の労働環境を根底から作り変えたこの特異な関係性は、長年にわたり政財界最大のタブーであり続けてきた。非正規雇用の急増、中抜き批判、地方創生という美名のもとに進められた巨大開発――。列島を席巻した構造改革の波は、働く人々の日常と人生設計を不可逆なまでに変貌させた。
経済学者としての理論を武器に政策を動かし、自らが重責を担う人材派遣大手へと巨大な市場を誘導したのではないかという不信感は今も根強い。多くの有権者が竹中 平蔵 パソナをめぐる一連の動きに鋭い視線を注ぎ続けるのは、単なるゴシップへの興味ではない。そこにかつての「改革」という甘美な言葉の裏で進行した、権力と実利の露骨な循環の縮図を見出しているからだ。
構造改革の旗手がもたらした雇用破壊か、それとも救世主か
かつて日本型雇用慣行は「終身雇用」と「年功序列」という分厚い岩盤に守られていた。それを一気に突き崩したのが、2000年代初頭の小泉政権下で断行された「聖域なき構造改革」だった。その舵取りを担ったのが竹中平蔵氏である。製造業への派遣解禁をはじめとする労働者派遣事業の規制緩和は、企業の国際競争力を高めるための「雇用の流動化」として高らかに宣伝された。
経営者層は人件費を固定費から変動費へと切り替えられる自由を手に入れた。景気の調整弁として非正規労働者を重用し、業績の急変にも耐えうる身軽さを獲得したのだ。だが、その代償はあまりにも重かった。若年層を中心にワーキングプアと呼ばれる低賃金層が固定化し、結婚や子育てを諦めざるを得ない構造的不平等が日本社会に深く根を下ろすことになった。日本経済を再生させた起死回生の処方箋だったのか、それとも中間層を解体した劇薬だったのか。その評価はいまだ二極化したままだ。
内閣府経済財政諮問会議と小泉政権――規制緩和の舞台裏
政策決定のプロセスそのものを劇的に変えたのが、内閣府経済財政諮問会議の存在だった。官僚主導の根回し政治を打破すべく、首相の強力なリーダーシップのもとで民間議員が政策を競い合う司令塔として機能した。小泉純一郎首相の後ろ盾を得た竹中氏は、この舞台で規制緩和のアクセルを極限まで踏み込んだ。
会議の議事録を紐解くと、スピード感を持った市場開放と民間活力の活用が執拗なまでに主張されている。だが当時から、政策立案者が直接的な利害関係を持つ業界の規制緩和を主導することへの危惧は囁かれていた。「官から民へ」という耳当たりの良いスローガンが叫ばれる裏側で、労働法制の防波堤は次々と取り払われていった。伝統的な官僚機構の抵抗を押し切る強引な手法は、政治主導の鮮烈な成功例と称賛される一方で、後の利益相反問題を育む温床ともなった。