長年、大衆演劇や歴史小説では、万福丸はお市の方の長男であり、茶々・初・江という「浅井三姉妹の同母兄」として描かれることが多くありました。しかし、現代の戦国史研究においては、万福丸の実母はお市の方ではないとする説が確固たる定説となりつつあります。
その最大の根拠は、生年とお市の方の輿入れ時期の矛盾にあります。浅井万福丸が処刑された天正元年(1573年)当時の年齢は数え年で10歳(永禄7年/1564年生まれ)とされています。一方、織田信長とお市の方が浅井家との同盟のために政略結婚を結んだのは、永禄10年(1567年)から永禄11年(1568年)頃というのが通説です。つまり、万福丸はお市の方が長政に嫁ぐ数年前にすでに誕生していた計算になります。
実母については、浅井氏の有力家臣の娘、あるいは長政が以前に迎えていた側室・前妻の子である可能性が極めて高いと考えられています。浅井三姉妹にとっては「異母兄」という関係性になり、落城時にお市の方と三姉妹が無傷で保護され織田家へ戻された一方で、万福丸だけが徹底的に捜索・処刑された背景には、織田家の血を引いていない純粋な浅井の男児であったことも影響しています。