「うなぎの寝床」という言葉は、間口(道路に面した幅)が狭く、奥行きが非常に深い敷地や建物を指す慣用表現です。魚のウナギが細長い穴や隙間を好んで潜り込む習性にちなんで名付けられました。一般的には京都の町家(京町家)の代名詞として定着していますが、大阪の長屋、金沢や倉敷などの旧城下町、さらには東京の下町エリアにも同様の地割が広く存在します。
長年、学校教育や観光ガイドでは「江戸時代に間口の広さに応じて税金(間口税や間別銭)が課されたため、庶民が節税のために間口を狭く奥に長い家を建てた」と説明されてきました。しかし、近年の日本都市史・建築史の研究では、この「税金対策発祥説」には大きな修正が加えられています。
歴史資料を紐解くと、豊臣秀吉による天正年間の京都大改造(天正の地割)において、街区を短冊状に細分化して通りを新設したことが発端です。商業が急速に発展する中、街道に面する権利(ファサード)は商売の生命線でした。限られた目抜き通りの商業フロントをより多くの商人に均等に割り当てるため、間口を約三間(約5.4m)から二間半(約4.5m)程度に抑え、奥に細長く敷地を伸ばす町割が必然的に採用されたのです。税金制度はすでに存在していた町割を基準に後から課された側面が強く、「税金を逃れるために民衆が一斉に細長くした」というのは因果関係を取り違えた俗説といえます。