PL学園を語る上で、高校野球ファンのみならず日本社会全体に衝撃を与えた「硬式野球部の休部」に触れないわけにはいきません。2016年7月15日、第98回全国高校野球選手権大阪大会の初戦敗退を最後に、部員募集を停止していたPL学園野球部は活動を休止しました。あれから約10年が経過した今もなお、復活の兆しはありません。
繰り返された暴力事件と「閉ざされた寮生活」の限界
表面的な休部理由は、度重なる暴力不祥事による対外試合禁止処分でした。寮内で行われていた上級生による下級生への理不尽な「付き人制度」や暴力行為は、週刊誌報道やOBたちの手記・告白インタビューによって白日の下に晒されました。
外部から隔離された全寮制という特殊な環境は、超人的な結束力と勝負強さを生み出す一方で、昭和的体育会気質を温床化させました。時代がコンプライアンスを重視する令和へと向かうなか、その旧態依然とした体質を刷新することができなかった現場の疲弊は限界に達していました。2013年以降は外部から有能な監督を招くことも叶わず、野球経験のない校長がユニフォームを着てベンチに入らざるを得ないという異常事態が全国的なニュースとなりました。
OB会の支援申し出を教団側が拒絶した背景
しかし、野球部休部の本質は暴力問題だけではありません。最大の深層は、「大物プロ野球OB会と教団上層部との修復不可能な断絶」にありました。
桑田真澄氏、清原和博氏、立浪和義氏ら球界を代表するOBたちは、伝統ある野球部を存続させるため、寄付金の集約や指導体制の刷新、OB主導による学校改革案を幾度となく理事会へ提案しました。自費で監督を引き受ける意向を示した有力OBも存在したと報じられています。
しかし、学校法人および教団側はこれらの提案をすべて拒絶しました。教団側にとって、野球部は本来「信徒の子弟が教えを実践し、世俗の模範となる場」であるべきでした。しかし、いつしか勝利至上主義に染まり、甲子園で勝つためだけに一般から選手を集める「PL野球部」は、教団の教えから著しく逸脱した異物とみなされるようになっていたのです。
「PLの看板を背負ってプロで巨万の富を得たOBたちが、学園の宗教的理念を軽視して口を出してくること」に対する教団幹部の反発は根深いものでした。結果として、教団側は野球部を救うことよりも、教団本来の純度を守るために野球部を切り捨てる道を選んだといえます。