多磨霊園に眠る三島由紀夫の墓、盗難騒動の真相と知られざる遺訓

多磨霊園に眠る三島由紀夫の墓、盗難騒動の真相と知られざる遺訓

三島 由紀夫 の 墓を訪ねる旅は、静寂と狂気が交錯する昭和史の深淵へと足を踏み入れる体験に他ならない。1970年11月25日、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で衝撃的な自決を遂げた作家は、半世紀以上の歳月を経た現在もなお、冷徹なまでに研ぎ澄まされた言葉と美学で私たちを挑発し続けている。彼が永遠の眠りにつく墓前には、時代が変わっても国内外から途切れることなく参拝者が訪れ、静かに手を合わせている。

東京郊外に広がる武蔵野の面影を残した緑豊かな霊園のなかで、三島 由紀夫 の 墓の前に佇むと、生前の華々しい文壇でのスキャンダラスな姿とは対照的な、ある種の厳格な静謐さに圧倒される。激動の時代を駆け抜けた肉体は灰となり、いまや冷たい石の下に収まっているが、そこに漂う空気は決して過去の遺物ではない。今を生きる表現者や読者たちを引き寄せる磁場が、この墓所には確かに息づいている。

多磨霊園に刻まれた本名「平岡公威」と一族の墓碑銘

東京都立多磨霊園の広大な敷地、その一角に佇む平岡家の墓所。墓碑に深く刻まれているのは、華麗なる筆名ではなく、本名である「平岡公威」の文字だ。きらびやかな文名に隠された、一人の人間としての出自と血脈の重みが、黒御影石の凛とした佇まいから伝わってくる。

日本文学界に屹立する数々の傑作を世に送り出し、ノーベル文学賞候補としても国際的な脚光を浴びた作家が、最後に行き着いたのは先祖代々が眠る静かな家族の墓壇であった。傍らに立つ墓誌に刻まれた戒名「彰武院文鑑公威居士」。武を尊び、文を鏡とし、公威としての生を全うしたという意味が込められたその名は、彼の波乱に満ちた生涯の伝記を象徴している。ペンネームという仮面を脱ぎ捨て、平岡家の長男として土に還った男の素顔が、ここにはある。

昭和史最大のミステリー:世間を震撼させた遺骨盗難事件の真相

この墓所をめぐる歴史の中で、決して風化させてはならない異様な事件が存在する。1971年12月、自決の一周忌を終えて間もない頃に発生した「遺骨盗難事件」だ。何者かによって墓が掘り起こされ、作家の遺骨が骨壺ごと忽然と姿を消したのである。

警察の威信をかけた捜査と連日のセンセーショナルな報道の末、約半年後に遺骨は同霊園内の雑木林の土中から無事に発見された。犯人は右翼思想に傾倒した男だったが、その動機は「三島の魂をより相応しい聖地に改葬したかった」という歪んだ狂信によるものだった。遺骨の盗難という衝撃的な事態は、三島が遺した強烈なカリスマ性が死後直後からいかに人々を狂わせ、神聖視と冒涜の狭間で揺れ動いていたかを物語る歴史の暗部である。

橋本 菜々子
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橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。