きんさんは生涯で11人の子どもを産み育てることになる。現代の基準では想像を絶する負担だ。紙おむつも粉ミルクもない時代に、次々と生まれる赤子を抱えながら、家事と労働を一切休むことは許されなかった。
そして昭和の戦争がすべてを飲み込んでいく。物資はなくなり、配給の列に並び、わずかな食料を子どもたちに分け与えて自分は汁の出涸らしをすする。空襲の警報が鳴り響けば、幼子の手を引いて防空壕へ走った。家族を守るための必死の形相は、テレビで見せた愛嬌たっぷりの「おばあちゃん」とはまるで別人だったはずだ。
長男や身内を前線に送り出し、無事を祈る日々の張り詰めた緊張感。戦後の混乱期には、家財を売り払い、闇市に足を運び、親族の飢えを凌ぐためにあらゆる策を講じた。彼女たちの手足の節くれだった太い骨は、この過酷な時代を母親として踏ん張り続けた戦歴そのものだった。