農林水産省『水産物流通調査』および水産庁統計を振り返ると、日本の沖合漁業は1984年に史上最高となる年間694万トンの水揚げを記録していました。当時の日本の総漁獲量は1,282万トンに達し、世界屈指の水産大国として君臨していたのです。しかし現在、沖合漁業の漁獲量は約200万トン前後にまで落ち込み、最盛期の3分の1以下に激減しました。この衰退劇を引き起こした背景には、単純な「獲りすぎ」だけでは説明のつかない構造的要因が横たわっています。
【漁獲量激減をもたらした3つの決定打】- 排他的経済水域(EEZ)の200海里問題による操業域の強制制限
- 数十年周期で訪れる海洋生態系の「レジームシフト(魚種交替)」
- 地球規模の海水温上昇と海流変化による漁場北上・来遊途絶
要因1:排他的経済水域と「200海里問題」の波及
1977年、世界各国が沿岸から200海里(約370km)以内の天然資源に対する主権的権利を主張する「排他的経済水域(EEZ)」を一斉に設定しました。これにより、かつて自由に操業できていたアメリカ・アラスカ沖(ベーリング海)や旧ソ連沿岸の好漁場から日本船は締め出されることになります。
遠洋漁場を失った大型船が日本近海へと押し寄せた結果、日本の沖合水域への漁獲圧力が急速に集中しました。自国の200海里水域内での操業を余儀なくされた船団同士の競合が激化し、限られた水産資源の奪い合いが始まったのです。
要因2:マイワシの資源崩壊と「レジームシフト」の残酷な現実
1980年代のピークを支えていた最大の立役者は「マイワシ」でした。最盛期の1988年にはマイワシ単独で年間449万トンという空前絶後の水揚げを記録していましたが、1990年代に入ると急激に資源が枯渇。わずか10年足らずで年間数万トンレベルにまで激減しました。
これは過剰漁獲だけでなく、数十年に一度の間隔で海洋環境や大気循環のパターンが周期的に反転する「レジームシフト」が引き金となっています。水温やプランクトンの発生パターンが変化したことで、イワシの初期生残率が壊滅的な打撃を受けました。その後、資源はマサバやカタクチイワシへシフトしたものの、イワシ単一魚種が誇った天文学的な水揚げ量を埋め合わせることは不可能でした。
要因3:サンマやスルメイカの歴史的不漁と公海水域の国際摩擦
水揚げ激減の爪痕は、サンマやスルメイカの水揚げ量推移に生々しく刻まれています。かつて年間30万トン前後で安定していた全国のサンマ水揚げ量は、2026年代に入ると年間2万トンを下回る年が続出するなど壊滅的な水準にまで沈み込みました。
背景にあるのは、北西太平洋における急激な海水温上昇です。冷水を好むサンマが日本の排他的経済水域まで南下せず、より沖合の「公海水域」に留まるようになりました。そこへ中国や台湾、ロシアの大規模な大型棒受け網船団が公海上で待ち構え、日本近海に入る前段階で大量漁獲する構造が定着したのです。公海上の国際的な漁獲枠(NPFC=北太平洋漁業委員会)の配分協議は難航を極め、日本の沖合漁船は「魚が来ない海」で立ち往生する事態に直面しました。