振り返れば、私たちは長らく「時間対効果」という物差しだけで人生を測りすぎていたのかもしれない。かけた時間に対してどれだけの成果が得られたか。その評価軸ばかりを優先するあまり、プロセスそのものを味わう感覚が麻痺していった。
何の役にも立たない本を気まぐれにめくる。降りたことのない駅で途中下車してみる。道端の野良猫を飽きるまで眺める。それらの行為は、経済的なリターンを一切生まない。しかし、その「無駄」の中にこそ、人生の手触りや固有の記憶が宿る。効率を競い合うゲームから自ら降りる感覚は、一度味わうと病みつきになるほどの開放感をもたらす。