コーヒールンバ原曲の真実|ルンバではない理由と哀愁の歴史秘話

コーヒールンバ原曲の真実|ルンバではない理由と哀愁の歴史秘話

コーヒールンバ原曲の真実|ルンバではない理由と哀愁の歴史秘話の基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。

世界的な大ヒットを記録し、現在に至るまで膨大な著作権使用料を生み出し続けている「モリエンド・カフェ」ですが、その権利関係の裏には、半世紀以上にわたる一族の骨肉の争いが横たわっていました。それがウーゴ・ブランコと、その叔父ホセ・マンソ・ペローニ(José Manzo Perroni)の法廷闘争です。

事の発端は、楽曲が生み出された1958年に遡ります。当時、ウーゴ・ブランコは法的な未成年(18歳未満)でした。そのため、自力で公的な著作権登録を行うことが法的に不可能でした。そこで、自身も音楽家・プロデューサーとして活動していた叔父のホセ・マンソ・ペローニが代理人として名乗り出ます。叔父ペローニは、ベネズエラ著作権協会(SACVEN)に対し、自身を作詞・作曲者として登録を行いました。

しかし、楽曲が世界的なヒットとなり、巨額の印税が動くようになると、二人の主張は真っ向から対立します。当時の現地報道や音楽史家の調査記録によると、双方の主張は以下のように激しく衝突しました。

  • ウーゴ・ブランコ側の主張:「旋律(メロディ)は完全に自分が一人でアルパを用いて作曲した。未成年だったために叔父に手続きを依頼したところ、叔父が後から歌詞を付け足し、作曲権まで奪い取った」
  • ホセ・マンソ・ペローニ側の主張:「作詞だけでなく、メロディの基本骨格やコード進行も自分が甥のために指導し共作した。権利は正当に自分にある」

この争いはベネズエラ国内の法廷のみならず、国際的な著作権管理団体を巻き込んで泥沼化しました。1970年代から2000年代にかけて判決や調停が繰り返されましたが、公的な登録クレジットは地域やレコードのプレス時期によって「ウーゴ・ブランコ単独」「ホセ・マンソ・ペローニ単独」「両者の連名」と二転三転することになります。名曲がもたらしたあまりにも巨大な名声と富が、血のつながった親族の心理的バウンダリーを完全に崩壊させた悲劇的な実例と言えるでしょう。

山田 真由
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山田 真由

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