法文上の規定以上に、雑徭が過酷とされた理由は労働環境の劣悪さにありました。雑徭の具体的な仕事内容は多岐にわたり、現代でいう土木・建設作業全般から雑務まで網羅されていました:
- 土木治水事業:灌漑用のため池の開削、河川の堤防修築、干拓作業
- 交通インフラの整備:官道(駅路・伝路)の敷設と補修、橋梁の架橋
- 官庁施設の営繕:国府(現在の県庁に相当)や郡家(郡役所)、正倉(穀物倉庫)の建設と修繕
- 官営牧場の管理:軍馬や牛の飼育、飼料の刈り取り
- 荷物の運搬:地方管内での公用物資や年貢米の積載と水運・陸運作業
これらの過酷な肉体労働において、最も理不尽だったのは「食料自弁の原則」です。国司に徴発された農民は、自前で数日〜数週間分の乾飯(ほしいい)や塩を持参して現場に向かわねばなりませんでした。官側から食事の支給を受けることは基本的に期待できず、作業が長引いて手持ちの食糧が尽きれば、現場で餓死する危険と隣り合わせだったのです。
さらに深刻だったのが、農繁期を無視した徴発でした。律令法規上では「農閑期に課すこと」という建前が存在したものの、洪水による堤防決壊や国庁の突貫工事など、国司の都合で田植えや稲刈りの最盛期に急遽呼び出される事例が常態化していました。主労働力である男手を最長2ヶ月間も奪われた農家は、作付けや収穫の時期を逃し、自らの田畑を荒廃させるという悪循環に陥っていったのです。