通州事件における被害者の実態を検証する上で欠かせないのが、事件直後に現地へ急行した救援部隊の公式報告や、辛くも生き延びた生存者たちの生々しい記録です。
救援に駆けつけた支那駐屯歩兵第3連隊や萱嶋隊の記録によると、通州宿舎や近隣の旭軒(旅館兼料亭)などでは、侵入した保安隊によって家具や金品が略奪されただけでなく、女性や子どもを含む非戦闘員に対して極めて残虐な暴行が加えられていました。当時、救援隊員として現場の検分にあたった兵士の手記には次のような凄惨な情景が記録されています。
「城門をくぐると、硝煙の臭いとともに異様な血生臭さが充満していた。住宅の内部には無残に損壊された遺体が散乱し、女性や幼子の亡骸までもが無差別に遺棄されていた。それは戦闘の犠牲というより、明らかな殺戮と略奪の現場であった。」
——(当時の救援部隊関係者の手記・証言記録より要約引用)
一方で、この暗黒の惨劇の中にあって、すべての中国人が敵対的であったわけではありません。当時の聞き取り調査では、通州で古くから商売を営んでいた現地の中国人民間人が、懇意にしていた日本人の母子や知人を自宅の天井裏や地下室、あるいは倉庫の奥深くに隠し、命がけで保安隊の捜索から匿った事例が複数報告されています。狂気に駆られた武装部隊の凶行と、隣人を救おうとした市井の人々の行動という、戦争の極限状況における複雑な人間の実相がそこには存在していました。