事件の発端は、横浜から神戸へと向かっていた英国船籍の貨客船「ノルマントン号(240トン)」の航行トラブルでした。1886年10月24日午後8時頃、猛烈な暴風雨に見舞われた船は、紀州樫野埼(現在の和歌山県東牟婁郡串本町)の沖合で座礁し、浸水を開始しました。
公式の事故報告書によると、沈没の直接的なノルマントン号事件 原因は、激しい風波による機関室への浸水とそれに伴う操舵不能でした。しかし、単なる自然災害による海難事故として片付けられなかったのは、その後の救助活動において「人命救助の順序」があまりにも不自然かつ非人道的な形で行われたからです。
当時の日本は、1858年の日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約によって、不平等条約を押し付けられていた時代です。外国人が日本国内で罪を犯しても日本の裁判所では裁けず、本国の領事が自国の法に基づいて裁く「領事裁判権(治外法権)」を認めていました。この歴史的背景が、事故発生直後から遺族や日本政府を苦しめる最大の要因となっていきます。