裕紘氏の急死によってもたらされた最大の激震は、直後に勃発した稲川会の跡目争いでした。2005年後半から2006年にかけて、四代目会長の座を巡る対立は極限状態に達しました。
主流派は二代目京葉七熊一家総長であった角田吉男氏を四代目に推挙しました。これに対し、初代総裁・聖城氏は血統の継続を重視し、孫である英希氏の継承、あるいは自身による体制差配を望んだと報じられています。結果として組織は真っ二つに割れ、東京都港区六本木の稲川会本部事務所が主流派によって封鎖されるという、前代未聞のクーデター劇へと発展しました。
警視庁が機動隊を配備して厳戒監視を行うなか、最終的には実力で勝る主流派が主導権を握り、角田吉男氏が四代目を継承。擁立派に担がれていた稲川英希氏は渡世から引退を余儀なくされました。これにより、昭和から続いた「稲川家による絶対的支配」は完全に幕を閉じ、血縁よりも組織内の実力と経済力を持つ派閥(山川一家系)が支配する現代的な組織体制へと移行することになったのです。
【プロの結論】血縁と組織の論理|巨大集団の事業承継が残した現代的教訓
稲川裕紘氏の生涯と、その死後に起きた一連の動乱は、暴力団という特殊な社会にとどまらず、一般社会におけるファミリービジネスや企業の「事業承継問題」とも完全に符合します。
家族社会学および組織論の観点から導き出される決定的な教訓は、「カリスマ創業者による血縁世襲の限界」です。創業者の求心力が高ければ高いほど、二代・三代にわたる世襲は組織内部に実力主義との軋轢を生み出します。後継者がどれほど個人の資質を備えていても、「血筋」を盾にした継承は現場の不満を蓄積させ、後ろ盾が消失した瞬間に激しい権力闘争を引き起こします。
後継者を確実に定着させるためには、血統に依存せず、明確な権限委譲のルールを整えるか、あるいは完全に実力主義へと舵を切る必要があります。稲川裕紘氏の悲劇は、自らの健康問題に加え、組織の近代化と血縁支配の維持という相反する二つの要請に引き裂かれた点にあったといえます。