北町奉行所跡を巡る言説には、長年のテレビドラマによって植え付けられた典型的な誤解がいくつか存在します。史跡を正しく理解するために、見過ごされがちな3つの盲点を整理しておきましょう。
第一の誤解は、「奉行がその場で直感的に判決を下していた」というイメージです。実際のお白州での審理は、綿密な予審制度の上に成り立っていました。逮捕された容疑者は、まず与力や同心による徹底的な取り調べと証拠集めを受け、調書が作成されます。奉行が白州に姿を現すのは、すでに罪状と証拠が固まり、幕府の基本法典である『御定書百箇条』に照らし合わせた量刑案(仕置伺)が完成した後の「最終確認と申し渡し」の儀礼でした。恣意的な裁量ではなく、厳格な法治主義が敷かれていたのが実態です。
第二の誤解は、「北町奉行所はずっと東京駅の場所にあった」という固定観念です。町奉行所は火災や都市計画に伴って何度か移転を繰り返しています。現在の丸の内トラストタワーの地に移転してきたのは享保2年(1717年)のことであり、それ以前は常盤橋門内などに置かれていました。幕末の慶応4年(1868年)に奉行所制度が廃止されるまでの約150年間、この八重洲北口の地が江戸の治安と司法の総本山として機能し続けたのです。