教科書では「口分田をもらって米を納める」とシンプルに説明されがちですが、班田収授法の崩壊理由の核心は、口分田に付随するあまりにも不均衡で過酷な税制にありました。
当時の税制である租庸調と雑徭の負担を整理すると、以下の通りです。
- 租(そ):口分田1段につき稲2束2把(収穫高の約3%程度)。負担率としては軽微。
- 庸(よう):都での年間10日間の労役に代えて納める布や綿。
- 調(ちょう):絹・糸・海産物・鉄などの地方特産品を現物納付。
- 雑徭(ぞうよう):国司の命令により年間最長60日間、道路補修や水利工事に無償で従事する強制労働。
- 兵役(へいえき):正丁(成人男子)3〜4人に1人の割合で徴兵され、防人(さきもり)や衛士として自費で九州や都へ赴く。
- 出挙(すいこ):春に強制的に種籾を貸し付けられ、秋の収穫時に50%という暴利の利息を上乗せして返済させられる公的利息搾取。
この税制における最大の問題は、「庸・調・雑徭・兵役はすべて成人男子(正丁)だけに課される」という点でした。女性は口分田の米(租)さえ納めれば、過酷な労役や特産品の納付義務から免除されていたのです。
正倉院文書が暴く「偽籍と農民逃亡の実態」
過酷な税負担から逃れるため、農民たちが選んだ手段が偽籍と農民逃亡の実態として現存史料に生々しく記録されています。
奈良の正倉院に残る「美濃国(現在の岐阜県)大宝二年(702年)戸籍」の分析データでは、ある集落の構成員が男性約2割に対して女性約8割という異常な偏りを示していました。別の戸籍では戸主以外の成人が全員女性として届け出されている例すら確認されています。
男児が生まれても戸籍には「女」と虚偽申告し、徴兵や労役から隠蔽する「偽籍(ぎせき)」が常態化。さらに、耐えきれなくなった農民が田んぼを捨てて逃げ出す「浮浪(ふろう)・逃亡(とうぼう)」が相次ぎ、戸籍に記載された人間と村の実態が完全に乖離していきました。結果として、朝廷は実態把握能力を失い、班田収授の再分配サイクルは各地で麻痺していったのです。