「方形周溝墓が巨大化したら古墳になるのか」という疑問は、歴史学習者のみならず一般の読者からも頻繁に寄せられます。両者の間には墳丘の規模だけでなく、社会構造の根本的な断絶が存在します。さらに、同時代に存在した「円形周溝墓」との地域性も含め、その決定的な差異を客観的データから比較整理します。
方形周溝墓と古墳を分かつ決定的な境界は、「被葬者個人の権力が集団から完全に遊離しているかどうか」です。方形周溝墓が血縁集団の継続性を重視した「集団墓・家族墓」の性格を脱しきれなかったのに対し、3世紀後半に出現する古墳は、圧倒的な土木量をもって単独の王(首長)を神聖視し、階層格差を視覚的に固定化するモニュメントでした。
また、東日本で多く見られる「円形周溝墓」との違いについては、縄文以来の環状集落や円形配石墓の伝統を引き継いだ東国先住集団の志向が円形周溝墓に反映された一方、水稲稲作とともに西から流入した方形プランが近畿を中心に定着したとする地域伝統論が有力です。弥生後期には、この方形プランが東日本へ伝播して円形周溝墓と混在し、地域の墓域ランドスケープを複雑に塗り替えていきました。