大正時代がわずか15年で幕を下ろした最大の理由は、「制度上の縛り」と「大正天皇の健康問題」という2つの要素が重なったことにあります。
近代以前の日本では、吉兆や大規模な天変地異などを理由に、同じ天皇の在位中に元号を何度も改める慣習がありました。しかし明治元年(1868年)に「一世一元の制」が導入され、以後は「天皇が即位した際に改元し、その崩御まで同じ元号を使い続ける」という厳格な原則が法制化されました。したがって、大正という元号の長さは大正天皇の在位期間と完全に一致します。
その大正天皇は、生後まもなく患った重い脳膜炎の後遺症に生涯悩まされ続けました。皇太子時代には全国を精力的に巡啓されるなど活発な時期もありましたが、即位された1912年(33歳時)前後から徐々に体調を崩される機会が増加。即位礼を執り行った大正4年(1915年)頃からは持病の悪化や精神的・身体的な消耗が目立つようになります。
当時の首相・原敬の日記(『原敬日記』)には、公式行事における天皇のおぼつかない足取りや、公務の継続に対する政府高官たちの深い懸念が生々しく書き残されています。大正9年(1920年)頃には公の場へのお出ましが極めて困難となり、政治的混乱を避けるため、1921年(大正10年)11月、わずか20歳だった皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政に就任することとなりました。
実質的な国家元首としての執務はこれ以降、皇太子裕仁親王によって執り行われていました。静養生活を続けられていた大正天皇は、1926年(大正15年)12月に入ると肺炎を併発して病状が急変。12月25日未明、葉山御用邸にて満47歳という若さで崩御されました。この大正天皇の早すぎる死によって、大正という時代は15年という短い歳月で幕を閉じることになったのです。