1985年春の音楽シーンは、日本のポップス史において「卒業ソングの奇跡の豊作年」として語り継がれています。ほぼ同時期に複数のトップアイドルやシンガーが競うように『卒業』と題したシングルを世に送り出し、チャート上で激突しました。
当時、明星の「第3回ミスマガジン」グランプリを獲得し、異例の注目度の中で歌手デビューを飾った斉藤由貴。彼女の楽曲がいかに突出した個性を放っていたかは、同年に発表された主要な卒業ソングの比較データからも明瞭に読み解くことができます。
音楽評論家や当時の制作関係者の証言によると、松本隆は斉藤由貴という稀有な被写体を得た際、「従来のステレオタイプな明るいアイドルではなく、陰影のある文学少女のモノローグを作劇する」ことを意図したといいます。そこに筒美京平が、短調から長調へと繊細に移ろいゆく憂いを含んだメロディを付与し、さらに当時気鋭の編曲家だった武部聡志がドラマチックなオーケストレーションを構築しました。チャートの最高位こそ菊池桃子に譲ったものの、後世の批評家から「昭和歌謡史における奇跡の結晶」と絶賛され続ける理由は、この徹底した芸術性にあります。