時代劇の床入りシーンでは、薄暗い行灯の光のなかで男女がしっとりと語り合う情緒的な演出が定番となっています。しかし、実際の歴史史料に記録されている大奥の床入り儀式や武家の床入りしきたりは、ロマンチシズムとはかけ離れた極めて無機質で厳戒態勢の儀礼でした。
特に徳川将軍家の大奥における床入りは、幕府の最高機密であり、政治の延長線上にありました。将軍と御台所(正室)または側室が夜を共にする「御小座敷」の隣室、あるいは同じ部屋の屏風の向こう側には、必ず「御添寝(おそのい)」と呼ばれる中年以上のベテラン奥女中が控えていたのです。
この床入り見届け役の真相には、主に以下の3つの重大な政治的・軍事的な目的がありました。
- 世継ぎの正当性の保証:生まれてくる子が間違いなく将軍の実子であることを第三者の証言によって担保する。
- 政治的密談・おねだりの防止:側室が将軍の寵愛を利用し、実家の大名家への加増などを直接嘆願(枕頭の直訴)することを防ぐ。
- 将軍の暗殺・懐妊偽装の警戒:就寝中の将軍に刃を向ける凶行や、不審な薬物の使用を未然に阻止する。
御添寝役は一晩中起きて聞き耳を立て、翌朝にはその一部始終を「御年寄」へ報告する義務を負っていました。プライバシーが完全に排除された環境は、将軍にとっても相手の女性にとっても極度の緊張を強いる空間だったといえます。