読者の多くが驚く意外な事実として挙げられるのが、「『あたしンち』という作品において、本来の主役は母ではなくみかんだった」という初期構想の裏話です。
表題の「あたしンち」というフレーズを分解すると、「あたし(=みかん)の家」という意味になります。1994年の連載開始当初、物語はみかんの一人称視点で語られ、高校生のみかんから見た「おかしな家族たちの奇行」を綴るエッセイ漫画的な色彩が濃厚でした。しかし、連載が進むにつれて、強烈な合理主義と独特の美学を持つ「母」のキャラクター造形が圧倒的な存在感を放ち始めます。その結果、母の主婦仲間である水島さんや戸山さんとのエピソードが増加し、みかんは「語り手」から「群像劇の主要登場人物のひとり」へと自然にスライドしていったのです。
この創作プロセスの根底にあるのが、あたしンち みかん モデル けらえいこ氏自身の生の記憶です。原作者のけらえいこ氏は、過去の記念対談や自著の解説において、タチバナ家のエピソードの多くが自身の実家(東京都西東京市・田無近辺を思わせる下町・郊外環境)での出来事や、自身の高校時代の体験に基づいていることを明かしています。みかんが抱く「もっと洗練された都会の生活を送りたいのに、母がそれを台無しにする」という恥ずかしさや葛藤は、けら氏が思春期に母親に対して抱いていたリアルな感情の記録そのものです。
作品内でみかんが時折見せる、将来への漠然とした不安や、ノートに絵や詩を書き留める創作への関心は、のちに漫画家として身を立てることになる原作者自身の瑞々しい足跡と見事に重なり合っています。