大谷翔平の背番号17に秘めた理由とは?歴代の番号とポルシェ贈呈の真相

大谷翔平の背番号17に秘めた理由とは?歴代の番号とポルシェ贈呈の真相

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日本代表(侍ジャパン)における背番号の選択には、大谷選手の持つ「礼節と先達への敬意」が極めて色濃く反映されています。2026年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において、大谷選手が選んだ背番号は「16」でした。なぜエンゼルスで定着していた「17」でも、プロ入り時の「11」でもなかったのでしょうか。

その背景には、代表チームにおける人間関係の調和があります。当時、投手陣の精神的支柱として参加していたダルビッシュ有投手が、日本ハム時代からの代名詞である「11」を着用することが決まっていました。また、代表チームで以前から「17」を着用していたチームメイトへの配慮も働いていました。そこで大谷選手が指名したのが「16」でした。

この「16」という数字は、日本人大リーガーの道を切り拓いたパイオニア・野茂英雄氏がロサンゼルス・ドジャースで旋風を巻き起こした際につけていた伝説的な番号です。大谷選手自身、テレビ特番のインタビューなどで「背番号に強い執着はない」と語りつつも、先達が築いた歴史を尊重する姿勢を崩しませんでした。偉大な先輩であるダルビッシュ投手に敬意を払い、海を渡った偉人・野茂氏の魂を受け継ぐ「16」を背負って戦ったからこそ、あの劇的な世界一奪還という結末が生まれたと言えます。

遡れば、2013年に日本ハムへ入団した際の「背番号11」の継承も極めて異例でした。メジャーへ旅立った直後のダルビッシュ投手の番号を空番にせず、高校を出たばかりの高卒ルーキーに託すことに対し、球界内部からは「早すぎるのではないか」「プレッシャーが重すぎる」といった慎重論が噴出していました。しかし、栗山英樹監督とフロント陣は「ダルビッシュを超えるスケールの選手に育てる」という覚悟を込め、大谷選手もその重圧を真正面から受け止めて二刀流の礎を築き上げたのです。

佐々木 一輝
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佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。