Q1:大久保利通はなぜ暗殺の危険を知りながら護衛をつけていなかったのですか?
A1:大久保自身が強い天命観の持ち主であり、「自分を守るべき運命にあるならば災厄は逃れられるし、天命が尽きているならば護衛をいくら固めても防げない」という信念を抱いていたためです。また、政府の最高指導者が武装した私兵に囲まれて移動することは、新政府が掲げる近代国家の治安維持に対する自信のなさを内外に示すことになると考え、頑なに護衛を拒否していました。
Q2:実行犯である島田一郎ら6名はどうなりましたか?
A2:襲撃後に自首した島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、森島守蔵(以上石川県士族)、浅井寿篤(島根県士族)の6名は、同年7月27日に大審院(現在の最高裁判所に相当)において死刑(斬首刑)の判決を受け、市ヶ谷監獄で即日処刑されました。
Q3:大久保利通の死後、明治政府の権力構造はどう変わりましたか?
A3:西郷隆盛、木戸孝允、そして大久保利通という「維新の三傑」がすべて世を去ったことで、明治政府の主導権は次世代の指導者である伊藤博文と山県有朋へと移りました。伊藤博文は内務卿の職を継承し、大久保の推進した殖産興業政策を受け継ぎながら、議会制度の創設と憲法制定へと日本の国家体制を前進させていきました。