事件発生から約1ヶ月後の1946年4月20日、警察は宮城県内の実家に潜伏していた元門弟の飯田利吉(当時22歳)を逮捕しました。飯田は十二代目に弟子入りし、住み込みで見習いをしていた人物でした。
取り調べによって明らかになった犯行の動機は、終戦直後の極限状態が生んだ「食糧の差別待遇」と「芸を巡る冷遇への怨恨」でした。当時、日本全体が極度の食糧難に喘ぐ中、飯田ら弟子や使用人には粗末な残飯同然の食事しか与えられず、師匠一家だけが白米や配給の贅沢品を口にしていたとされています。空腹に耐えかねた飯田が不満を漏らすと、厳しく叱責され、雑用ばかりを押し付けられて舞台の稽古をつけてもらえない日々が続いていました。
「師匠一家に人間扱いされていない」という日々の鬱屈と飢えが極限に達した結果、飯田は就寝中の一家を襲うという暴挙に走りました。伝統芸能界の厳しい徒弟制度と、戦後の飢餓という異常事態が重なり合って起きた悲劇的な事件でした。