愛媛の歴史を語るうえで欠かせないのが、戦国期から江戸幕末に至る城郭建築と藩政改革のリーダーシップです。
藤堂高虎:今治城・宇和島城に注ぎ込まれた先進の築城技術
戦国屈指の築城の名手として知られる藤堂高虎は、慶長年間に伊予半国(宇和島・今治)を領有し、愛媛の都市づくりの基礎を築きました。
高虎が築城した今治城は、日本三大水城の一つに数えられ、海水を引き入れた広大な堀に船が直接出入りできる画期的な構造を誇ります。また、高虎が創始した「層塔型天守」は、構造の簡略化と工期短縮、耐震強度の向上を両立させ、その後の江戸城や名古屋城など全国の近世城郭の標準モデルとなりました。現在も美しい現存12天守の一つとして知られる宇和島城の縄張り(設計)も高虎の手によるものであり、不等辺五角形の空堀を配して外敵を惑わす高度な軍事技術が注ぎ込まれています。
伊達宗城:黒船来航に先駆けて国産蒸気船を造らせた幕末の四賢侯
宇和島藩第8代藩主・伊達宗城は、福井藩の松平春嶽、土佐藩の山内容堂、薩摩藩の島津斉彬と並び、「幕末の四賢侯」の一人に数えられた指導者です。
宗城は身分にとらわれず、村田蔵六(後の大村益次郎)や高野長英といった当代一流の蘭学者・技術者を宇和島に招聘しました。嘉永6年(1853年)のペリー来航直後、宗城は藩の鍛冶職人・前原巧山や村田蔵六らに命じ、西洋の原書図面のみを手がかりにして日本で最初期となる国産蒸気船の試作・建造に成功させました。明治維新後も外国官知事や大蔵卿を歴任し、初期外交の責任者として近代国家の樹立に多大な貢献を果たしました。