宇都宮二荒山神社の歩みは、約1600年前の仁徳天皇の御代に遡ります。主祭神である豊城入彦命は、崇神天皇の命を受けて東国を平定した武勇の誉れ高い皇子です。この卓越した武徳から、古くは藤原秀郷が平将門の乱平定を祈願し、源頼朝や徳川家康といった名だたる武将たちが戦勝祈願や社殿造営に尽力しました。これこそが下野国一之宮の歴史の核であり、宇都宮が北関東屈指の城下町として発展する礎となった事実を示しています。
神社を訪れた者が圧倒されるのが、街の目抜き通りである大通りから一直線に本殿へと続く95段の大石段の由来です。現場で石段を見上げると、ビル群の景色から一転して急傾斜の崖を登るような高低差に気付きます。これは社殿が「明神山(みょうじんやま)」と呼ばれる天然の丘陵上に位置しているためです。中世から近世にかけて、この高台は宇都宮城の北方を防衛する戦略的要衝であり、天然の物見台・砦の役割を果たしていました。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争・宇都宮城の戦いにおいては、新選組副長・土方歳三ら旧幕府軍と新政府軍がこの大石段を挟んで熾烈な攻防を繰り広げました。激しい砲撃戦によって当時の社殿はことごとく焼失し、現在の壮麗な社殿は明治10年(1877年)に再建されたものです。一見すると長閑な参拝路に見える95段の石段には、東国の武家政治と近代日本の夜明けを分けた血戦の記憶が深く刻み込まれています。