幻の海軍原爆開発「F研究」の真相|京都帝大・荒勝研究室が遺した記録の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。
戦時中の日本の原爆開発を理解する上で避けて通れないのが、陸軍と海軍による致命的な二重開発と不毛な縄張り争いです。陸軍は理化学研究所の仁科芳雄博士を中心とする「ニ号研究」を推進し、海軍は京都帝国大学の荒勝教授を中心とする「F研究」を立ち上げました。両者は情報や資源を共有することなく、限られたウラン資源を奪い合う事態に陥っていました。
項目海軍「F研究」(京都帝大)陸軍「ニ号研究」(理化学研究所)米「マンハッタン計画」(比較)主導組織・責任者旧日本海軍 / 荒勝文策 教授旧日本陸軍 / 仁科芳雄 博士米陸軍・政府 / オッペンハイマーウラン濃縮方式超遠心分離法(高速回転分離)熱拡散法(分離塔による対流)電磁分離法・ガス拡散法・原子炉開発投入予算・人員規模予算約60万円 / 研究者数十名予算約200万円 / 研究者100名規模約20億ドル(2兆円以上) / 13万人超直面した技術的限界超高速回転(毎分十数万回転)に耐える特殊鋼と精密加工技術の不足六フッ化ウランの腐食性と分離塔加熱用の電力・資材不足、空襲による焼失巨大国家インフラと工業力により全課題を力技で突破・実戦配備最終到達レベル試作遠心分離機の基礎設計・要素試験段階で終戦分離塔の実験中に空襲で施設全焼、開発断念1945年7月にトリニティ実験成功、8月に投下
海軍の「F研究」が選択した遠心分離法は、現代のウラン濃縮技術の主流となっている極めて先見性の高いアプローチでした。しかし、当時の日本の鉄鋼技術では、毎分10万回転以上の超高速回転に耐えうるジュラルミンや特殊鋼を安定して削り出すことが不可能でした。住友金属工業や東京計器などに発注された部品も空襲と資材難で納期が大幅に遅延し、試作機が完成する前に終戦を迎えることとなったのです。