インターネット上の掲示板やSNSでは、時折「肥後克広はネタを主導するわけでもなく、ただ真ん中で立っているだけではないか」という軽率な誤解が見受けられます。しかし、これはダチョウ倶楽部の緻密な職人芸を知らない表面的な見方に過ぎません。
第1に、肥後克広 ものまね レパートリーの広さと爆発力は、演芸関係者の間で極めて高く評価されています。森本レオのウィスパーボイス、元政治家の小沢一郎、元大相撲力士の高見盛、さらには女優の中村玉緒まで、顔の骨格と独特の空気感を捉えた憑依型のものまねは、単体でも一流のピン芸として成立するクオリティを誇ります。コント内において、上島さんの暴走を受け止め、ジモンの理屈っぽさを絶妙にいなすスイッチング役として機能していたのが肥後でした。
第2に、リーダー就任の経緯にまつわる誤解です。元々ダチョウ倶楽部は1985年、肥後、寺門、上島に南部寅和(現・電撃ネットワーク)を加えた4人で結成されました。南部の脱退後、リーダーを決める際に「じゃんけんで負けたから肥後がリーダーになった」というエピソードはバラエティ番組で鉄板の持ちネタとなっています。しかし劇団関係者の回想によれば、強烈な自我のぶつかり合いで空中分解寸前だったグループをまとめ上げられる人望と包容力を持っていたのは、当時から肥後克広ただ一人でした。
さらに私生活における肥後克広 嫁 家族構成を見ても、その安定した人間性が際立ちます。下積み時代の極貧生活を支え続けた元女優の妻・友子さんとの間には1男2女をもうけ、長女の肥後千暁はタレント・歌手として活動しています。家庭内においても決して怒声を荒らげることなく、家族の選択を常に尊重してきたという家庭環境の安定こそが、激動の芸能界で40年以上にわたり精神的バランスを保ち続けられた隠れた源泉です。