制作が待たれる日韓外交検証ドキュメンタリーのような報道プログラムでは、事件発生当時に大手紙やテレビ局がどのようにニュースをパッケージ化し、消費させたかが重要な検証課題となる。「土下座」という強烈なワードが独り歩きした背景には、過激な見出しでアクセス数や視聴率を稼ごうとするメディアの構造的問題が存在していた。
現地での静謐な祈りの瞬間が、東京のスタジオでは「国益を損なう暴走」として語られ、ソウルでは「真実の告白」として報じられる。この劇的な報道の乖離は、二国間の相互不信を増幅させる一因となった。ジャーナリズムが果たすべき真の役割とは、センセーショナリズムに流されることなく、事実の背景にある複雑なニュアンスを丹念に掬い上げることにあると言えるだろう。