なぜ「切腹最中」でお詫びが成功するのか?新橋・新正堂の真相と買い方

なぜ「切腹最中」でお詫びが成功するのか?新橋・新正堂の真相と買い方

なぜ「切腹最中」でお詫びが成功するのか?新橋・新正堂の真相と買い方の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

切腹最中のルーツを辿ると、元禄14(1701)年に起きた江戸城・松の廊下での刃傷事件、そして国民的物語として語り継がれる「忠臣蔵(赤穂事件)」に行き着きます。新橋4丁目に位置する新正堂の店舗敷地は、播州赤穂藩主であった浅野内匠頭(浅野長矩)が切腹を命じられた田村右京太夫屋敷跡(浅野内匠頭終焉の地)のまさにその場所に立地しています。

新正堂の3代目当主・渡辺仁久氏は、バブル崩壊前後の厳しい経営環境の中で「自店の土地に眠る歴史を形にし、新橋を代表する名物を作りたい」と一念発起しました。しかし、歴史の事実に忠実であるがゆえに発案した「切腹最中」という名称は、あまりに不穏で不謹慎だと親族や和菓子組合から激しい反対を受けました。当時のインタビューで渡辺氏は「菓子に『切腹』とは何事か、縁起が悪すぎて誰も買うはずがないと周囲から猛烈に怒鳴られた」と回顧しています。

それでも渡辺氏は「歴史の真実から逃げず、味と誠意で勝負すれば必ず通じる」と確信し、1990年に発売を強行しました。白い鉢巻を模した帯を巻き、最中の皮が腹を切り裂いたように開いてたっぷりの餡が覗く独特の意匠は、職人の試行錯誤の末に生み出されたものです。発売当初こそ冷ややかな目で見られたものの、兜町の証券マンや新橋の商社マンの間で「大損させた顧客へのお詫びに持って行ったら場が和んだ」「腹を切る覚悟が伝わった」と口コミが爆発。瞬く間にビジネス街の伝説的な手土産へと押し上げられました。

田中 結衣
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田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。