二葉百合子『岸壁の母』が今も涙を呼ぶ理由|モデル端野いせの真実と名セリフの魂

二葉百合子『岸壁の母』が今も涙を呼ぶ理由|モデル端野いせの真実と名セリフの魂

二葉百合子『岸壁の母』が今も涙を呼ぶ理由|モデル端野いせの真実と名セリフの魂に関する深掘り解説を丁寧に解説いたします。

『岸壁の母』が世代や時代を超えて日本人の涙腺を刺激し続ける最大の要因は、歌唱の合間に挟まれる二葉百合子の圧倒的な語り(セリフ)と、極限まで研ぎ澄まされた浪曲の節回しにあります。作詞家・藤田まさと、作曲家・平川浪竜の手によって生み出された原曲の世界観を、二葉百合子は自らの浪曲師としての矜持を注ぎ込んで再構築しました。

特に聴く者の心を打つのが、中間部に挿入される魂の名セリフです。

【二葉百合子『岸壁の母』セリフ全文】
「母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た とどかぬ願いと知りながら… もしやもしやに、もしやもしやにひかされて…」
「また引揚船が帰ってきたというのに、あの子の姿は見えない。あの子は、あの子はどこにいるのか… 厳しいソ連のシベリアの空を仰いでは、今日も今日とて祈る母の心を知っているのか、新二よ、早く帰っておくれ…!」

二葉百合子自身が生前の特番インタビューや手記で語っているように、このセリフは単に台本を朗読したものではありません。幼少期から父・東武蔵の厳しい指導のもとで培った「情念を声に乗せる技術」と、実際に舞鶴港の岸壁に立ち尽くす母親たちの苦悩を自らの肉体に憑依させたことで生まれた、即興性とリアリズムの結晶でした。

「もしやもしやにひかされて」という言葉には、引き揚げ船が港に着くたびに「今日こそは息子の姿があるのではないか」と期待し、名簿にその名がないことを知って絶望に叩き落とされる母親の狂おしいまでの往還が凝縮されています。ただ悲しいだけの歌ではなく、人間の持つ「無償の愛」と「生への執着」が極限の緊張感をもって表現されているからこそ、現代のリスナーも瞬時にその情景へと引きずり込まれるのです。

山崎 陸
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山崎 陸

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