犯罪心理学および精神医学の視点から見ると、蓮実聖司というキャラクターは典型的な「サイコパス(反社会性パーソナリティ障害)」の極限形として描かれています。良心の呵責や共感性が完全に欠落している一方で、知能指数が高く、表面的には極めて魅力的な人間性を装うことができる捕食者です。もし続編が描かれていた場合、物語はどう展開するしかなかったのでしょうか。
原作者の貴志祐介が過去に示唆していたアイデアは、「拘置所内での精神鑑定をめぐる検察・精神科医との頭脳戦(法廷編)」、そして「医療少年院や刑務所からの脱走、あるいはアメリカへの高飛び(海外編)」でした。しかし、この展開を描くには致命的な構造的課題が存在します。
第1作の面白さは、「誰もが憧れる爽やかな人気教師が、裏で静かに害虫駆除のように人間を排除していく」という日常の擬態と異常性のギャップにありました。しかし、一度正体がバレて逮捕されてしまえば、蓮実は単なる「危険な連続殺人鬼」として隔離されます。学園という限定された箱庭空間で展開されたサスペンスやブラックコメディの妙味は失われ、よくあるハリウッド型のサイコ脱獄サスペンスへと変質せざるを得ません。
また、鑑賞者側のニーズを見極める上でも、本作の支持層は2つに分かれています。
- 続編を期待すべきではない層:学園ホラーとしての完成度や、三池監督の悪趣味かつスタイリッシュな演出美を愛していたファン。あのラストの切れ味で終わっているからこそカルト的傑作として成立していると捉えるのが自然です。
- どうしてもその後の蓮実を追いたい層:映画の続編を待つのではなく、貴志祐介の別作品(『天使の囀り』『クリムゾンの迷宮』『新世界より』など)に触れ、著者が描く冷徹な知的エンターテインメントの真髄を味わうのが賢明な選択と言えます。