夏目漱石の墓はなぜ肘掛椅子なのか?雑司ヶ谷霊園に眠る真相と謎

夏目漱石の墓はなぜ肘掛椅子なのか?雑司ヶ谷霊園に眠る真相と謎

夏目漱石の墓はなぜ肘掛椅子なのか?雑司ヶ谷霊園に眠る真相と謎についての真相を徹底解説します。

ネット上や一部の文学ファンの間では、「漱石本人は質素な葬儀を望んでいたのに、門下生や遺族が見栄を張って巨大な椅子型の墓を建てたのではないか」という批判的な言説が囁かれることがあります。しかし、史料を精査すると、夏目漱石の遺言と真相にはさらに衝撃的な事実が存在します。

漱石は1916年12月9日、内出血を伴う胃潰瘍の再発によって危篤に陥りました。漱石は生前、親しい主治医や門下生に対し、「自分の死後は医学の発展のために遺体を解剖せよ」と言い残していました。この遺志に基づき、漱石の遺体は没した翌日、慶応義塾大学医学部の病理解剖室に運ばれ、長与又郎教授らの手によって病理解剖が行われたのです。

解剖の結果、漱石の脳は取り出され、現在も東京大学医学部にエタノール漬けの標本として厳重に保管されています。当時の計測で、漱石の脳の重量は1,425グラムあり、当時の日本人成人男性の平均値(約1,350〜1,380グラム)を大きく上回っていただけでなく、大脳皮質のシワが極めて緻密に発達していたことが記録されています。つまり、墓所に埋葬されているのは漱石の肉体のすべてではなく、解剖・火葬を経た遺骨なのです。

漱石自身が生前、自らの墓石の形状について具体的な指示を残したわけではありません。晩年の漱石が求めた境地は「則天去私(自己の小さな執着を捨て、自然の道理に従って生きること)」でした。そのため、本人の美意識と、伊東忠太が具現化した巨大なモニュメントとの間には一定の落差が存在します。しかし、この壮大な椅子は、残された門下生たち(岩波書店の創業者・岩波茂雄や小宮豊隆ら)と鏡子夫人が、「近代日本が生んだ最大の知性」を後世に顕彰するために捧げた渾身のリスペクトの結晶であり、決して単なる見栄による浪費ではなかったのです。

阿部 裕樹
Author

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。