なぜ彼らはこれほどまでに先鋭化し、凄惨なテロへと向かったのか。その歴史的背景には、1960年代の学生運動とベトナム反戦運動の高まりがあります。
当時、各大学の学生自治会を束ねていた全学連(全日本学生自治会総連合)は、安保条約改定阻止や学費値上げ反対を掲げて数万人規模の学生を動員しました。1968〜1969年の東大安田講堂事件や新宿騒乱事件では、ヘルメットに角材(ゲバ棒)を持った学生たちが機動隊と激しく衝突し、社会現象となりました。
しかし、政府の治安維持体制強化と国民世論の離反により大衆運動が行き詰まると、運動は急速に先鋭化・地下化していきます。その極限が以下の事件です。
- 日本赤軍・赤軍派の国際テロ:「よど号ハイジャック事件」(1970年)や「テルアビブ空港乱射事件」(1972年・死者26人)など、国外に拠点を移して無差別テロを乱発。
- 連合赤軍の山岳ベース事件(1972年):組織内の「総括」と称して仲間12名をリンチ殺人した事件。凄惨な実態が暴かれ、新左翼運動への国民的支持は完全に失墜。
- 成田・三里塚闘争と火炎瓶テロ:空港開港阻止のため警察官複数名を殺害、管制塔を占拠破壊。
大衆の共感を失った過激派は、自己の正当性を証明するために更なる暴力へと傾斜し、セクト同士の血で血を洗う内ゲバ闘争へと自滅的に埋没していきました。