音楽理論をかじった人が陥りがちな最大の誤謬が、「3つの要素がすべて完璧に揃っていなければ、優れた音楽とは呼べない」という固定観念です。この考え方は、極端な西洋音楽中心主義が生んだ認知の偏りと言えます。
現実の音楽文化を観察すれば、三要素のいずれかを極限まで削ぎ落とすことで、圧倒的な芸術性を獲得した名曲が無数に存在します。
例えば、伝統的な和太鼓の演奏やアフリカのポリリズム集団によるパーカッションアンサンブルには、明確な音階(メロディ)も機能和声(ハーモニー)も存在しません。しかし、極めて高度な「リズム」の揺らぎと音色のグラデーションによって、聴く者の感情を高揚させトランス状態へと導きます。
また、バッハの『無伴奏チェロ組曲』や聖歌の独唱は、原則として単一の「メロディ」だけで成り立っています。聴き手の脳内で潜在的なコード進行を想起させる仕掛けはあるものの、物理的なハーモニーの演奏は存在しません。ブライアン・イーノが創始したアンビエント・ミュージック(環境音楽)では、明瞭なリズムやメロディを排除し、持続する「和音」と「空気のような音色」だけで深い没入感を生み出しています。
ネット上の作曲講座などで「まずコード進行を決め、次にリズム、最後にメロディを乗せなければならない」といった教条的な解説が散見されますが、これは制作手法のテンプレートに過ぎません。特定の要素をあえて欠落させる、あるいは1つの要素のみを極限まで尖らせることこそが、既存の枠組を打ち破る革新的な音楽を生み出す原動力となってきました。